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  01, 2020 12:00
■このblogについて

・「Tolkien作品で二次三次創作など絶対無理!」と考えていた人間が、映画Thorinをみて転げた結果の産物です
翻訳されない英語記事・動画interviewや、関連本の抜粋訳を提供しています
・Dwarvesに偏っています。特にThorinに偏っています
・すっかりRA army状態です。Richard Armitage(リチャード・アーミティッジ)さんの新作や、近況記事の情報を掲載しています。
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Richard - 「Oedipus to Antigone」と「Salome」、Yael Farber氏の目指すもの

  15, 2017 19:43
sphnx-and-oedipus.jpg 

それは、2017/05/20(日本時間)のことでした。
リチャード・アーミティッジさんとヤエル・ファーバー監督の間で、このようなやりとりが交わされました。
20170520-yf-ra-tweet-cap.png 
Richard Armitage‏ @RCArmitage
@yfarber "Drive the corruption from the land, don't harbor it any longer, past all cure, don't nurse it in your soil - root it out!"
「地より汚辱をのけよ。もはやそれを潜ませてはならぬ。過去の薬は其方の土を癒すには至らなかった──根を断つのだ!」(Creon、クレオンが告げるアポロンの神託、109-111)

yaël farber‏ @yfarber @RCArmitage
"Let it burst. Whatever will, whatever must"
「粉砕するのだ。為るべきものすべて、すべきものすべてを」(オイディプスの叫び)

台詞は「Oedipus Rex」からの応酬です。ふたりは世界の現状について、台詞を借りて語っているものと思われますが、TLではこれを、「噂になっていた来年1月からの舞台出演は、確定だ」という印ともうけとりました。

最初に「Richard leaks」が出たのは、2017/03/24のことでした。
20170324-yf-ra-tweet-cap.png 
"Fear? What has a man to do with fear? Chance rules our lives, and the future is all unknown. Best live as we may, from day to day."
「懼れ? 殿方がなにを懼れましょうや? 偶然はわれらの生を律し、未来を知る者はおりませぬ。われらの能うかぎりよき生き方を、日から日へ、おくるのです」(Iocasta、イオカステがオイディプスに語る)

このつぶやきが出てからすぐの2017/04/21、下記の追加発表がありました。まごうかたなき「Richard leaks」ですね(笑)
Yael監督の「Oedipus to Antigone」が想定されているのは、いまのところ2018年1月-3月の第一期です。

ここで挙げられている場所は、Gielgud Theatre(ギールグッド劇場)でした。
この劇場は、バッキンガム宮殿にも遠くない場所にある、National Theatreの一つです。座席数は986席。「The Crucible」を上映したThe Old Vic劇場と、ほぼ同規模の劇場です。
Theatre_Gielgud.jpg 
https://www.delfontmackintosh.co.uk/imgs/theatre/Gielgud/title-treatment/Theatre_Gielgud.jpg

その後、こちらやほかの劇団第一弾「Heisenberg: The Uncertainty Principle」発表記事で、劇場がWyndham's Theatre(ウィンダムズ劇場、759席)と判明したため、後続舞台もこの劇場だ、と断定しているひともいますが、まださだかではありません。
https://lovelondonloveculture.com/2017/06/19/news-elliott-harper-productions-announce-first-west-end-production/

Wyndham's Theatre
Theatre_Wyndhams.jpg 
https://www.delfontmackintosh.co.uk/imgs/theatre/Wyndhams/title-treatment/Theatre_Wyndhams.jpg

ちなみに、Elliott Harper Productions旗揚げと、「Oedipus to Antigone」上演の第一報は、2016/11でした。情報元は、「The Crucible」でRichardさん交渉中の情報をいち早くながした、おなじみのBaz Bamigboye氏です。

2017/05末現在、まだRichardさん出演の正式広報は出ておりませんが、今年3月ごろ、倫敦で最初の広報素材を撮影したような動きがあります。そこへこの応酬ですから、もはや出演は確定と言ってもよいでしょう。

なぜRA軍がそう決めこんでいるかというと、そもそも去年夏2016年8月5日 にこんなやりとりがあったからなのです。
20160805-yf-ra-tweet-cap.png 
Old friend,we'll be packing high level cache grenades - not kindled embers - when we meet on the beautiful battle field again.x
「なつかしき友よ、われわれは高性能の隠し手榴弾を充填することになるのよ──燃えさしではなくてね──また美しい戦場でまみえるときにね」

そうなりますと、気になるのが脚色の内容や方向性です。折しも、いま倫敦では、Yael監督のOscar Wilde戯曲脚色の「Salome」が上映されています。
2015年にWashington DCのShakespeare Theatre Companyで上演され、好評価を得たこの作品は、満を持して英国はWest End、しかもOlivier Theatre(National theatreの一つ、最大1150席)での上演という、凱旋をしたはずでした。


ところがこの舞台は、蓋をあけると最高でも★★★、最低は★という批評家の不評を得ています。

※面白いことに、(2015年時、おそらく彼の関連者が裏手から圧力をかけて)YF-RA版の「The Crucible」の劇場版北米公開を阻んだ末無事「A View From the Bridge」でTonny賞を受賞したIvo Van Hove氏の「Obbsession」、主演にJude Lawを擁した舞台も、今回は★★か★★★にとどまり、「がっかり」「Ivo Van Hoveはマンネリ気味ではないか(丸め訳)」という批評を得ています。
後述するとおり、演劇という様式からの逸脱を試みて非難されているYael監督とは、真逆の理由ですね。
https://www.thestage.co.uk/opinion/2017/ivo-van-hoves-obsession-starring-jude-law-review-round/

Richardさんの「Oedipus Rex」がほぼ確定となったいま、あらためて「Salome」の批評状態を知ったわたしは、率直にいって不安になりました。「米国では評判がよかったのに、英国でなぜ?」というわけです。

たとえば、BWWによるWDC版の批評はこうでした。

ところが、同じBWWの2017年WE版批評はこうです。

このWE版では、舞台演出家もSalome(若・老)役も同じです。しかし舞台装置や演出はかなり変わっているらしく、このような指摘をされています。

The trouble is that Farber spends more time on the vague, portentous pronouncements (threatening to tip into National Theatre of Brent parody) than on concrete development of her characters or their world. There are the beginnings of some interesting modern parallels: Iokanaan is the agitating insurgent, Salome the self-described refugee, and her body becomes the battleground for this occupied nation - she's invaded by Herod as her homeland is by Rome.
問題は、ファーバーが漠然とした、ものものしい宣言(脅しを「National Theatre of Brent」(※)のパロディに傾ける)に、登場人物や世界の展開をかためることより時間をついやしすぎることにある。
導入部には、それなりに面白い現代比較がある。ヨナカンは扇動する反乱分子であり、サロメは自らいうところの難民であり、彼女の肉体は、この占領国の戦場となる──彼女はヘロデにより侵略される。彼女の祖国がローマになされたのとおなじく。

※英国演劇の滑稽二人芝居の一つ、だそうです。

また、この批評も端的だと思いました。

そうしている間に、興味深く批評家たちの反応の原因が理解しやすい批評を、TLで紹介してもらいました。
今年の11月後半以降になるまで、どんな脚色になるかは明かされないであろう、「Oedipus to Antigone」。
この批評を読むと、総評価がどうなるにせよ、観客としては非常に歯ごたえのある舞台を観ることができるだろう──という、予感がします。

ただし、舞台の題名が「オイディプスからアンティゴネ」である時点で、そして団長のMarianne Elliott氏が「I'm excited about telling female stories」と宣言している時点で、さらに舞台演出がYael Farberという時点で、焦点はAntigoneを主軸とする女性陣ではないか、と誰しも考えると思います。

まだ配役発表すらされていませんが、RichardさんのOedipusが「女性の物語」のなかでどう配置されるのか? はやく知りたい思いでいっぱいです。

***********************
■Yael Farber's new play Salome is unforgettable, but it's not theatre, says John Nathan.
ヤエル・ファーバーの新舞台「サロメ」は忘れがたいが、演劇ではない、とジョン・ネイサンは言う。
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★★☆☆☆(※評点2、ただし悩みながら)

If I had to identify just a single hallmark of theatre created by the writer/director Yael Farber, it is that her productions are unforgettable. They include the searing Strindberg-inspired Mies Julie; a harrowing response to the notorious Delhi bus rape and murder, and a terrifying revisiting of Arthur Miller’s The Crucible.
脚本家兼舞台監督ヤエル・ファーバーの手による芝居を一語で特徴づけねばならないのならば、「忘れがたい」に尽きる。焼けつくようなストリンドベリ(※スウェーデンの劇作家)に啓発された「Mies Julie」、悪名高きデリーのバス強姦・殺人事件への苦痛の反応である舞台や、アーサー・ミラーへの恐るべき再訪問である「坩堝」だ。

All invoke the power of women. And so, too, does this attempt to rewrite the story and reputation of Salome. Here Herod’s seductress daughter is redrawn as a revolutionary challenger of Pontius Pilate’s authority.
すべてが女性の力を祈求する。この舞台もそうだ。「サロメ」の物語と世評を、書きなおそうと試みているのだ。ここではヘロデの誘惑的な娘が、ポンティウス・ピラトの権威に対する革命的な挑戦者として、再描画されている。

Farber has carved a career from pushing the rules of conventional theatre and here she tears up the entire book. This time the result evokes a sense of antiquity that is more convincing than any I have ever seen on stage.
ファーバーは、紋切型の芝居の規則を突きのけることから経歴を積んできており、ここでは彼女は、原作全体を引き裂いている。今回の結果は、上古の感覚を呼びおこす。それはわたしが過去観てきたいかなる舞台よりも、説得力のあるものだ。

Designer Susan Hilferty shapes the air with shafts of light and great swathes of linen. A curtain of sand falls like some great biblical act of God and serenading the entire uninterrupted one hour and forty five minutes are two women (the Israeli singer-songwriter Yasmina Levy and the Syrian singer Lubana al Quntar) whose voices are as redolent of ritual as the sound of a shofar.
デザイナーのスーザン・ヒルフェーティは、光の矢と巨大なリネンの巻き布によって、空気を形づくる。砂のカーテンは、偉大な聖書の神の御業の一部のように流れおち、一切絶え間のない、1時間45分におよぶセレナーデを奏する二人の女性(イスラエルの作詞作曲兼歌い手Yasmina Levyと、シリアの歌い手Lubana al Quntar)の声は、羊角の笛(ユダヤ教の戦場・宗教行事用)の音のごとく、儀式を思わせる。

The (New Testament) story’s characters, include Herod, Pilate and Jewish custodians of the Temple. They glide into and out of view carried by a revolve turning at dead-slow speed. In fact everything here happens in slo-mo, from the singing to the suffering wrought by Pilate’s cruel occupation. Salome disrobes instead of dances, an act that evokes a sense of sacrifice rather than seduction.
(新約)聖書の物語の登場人物には、ヘロデ、ピラト、神殿のユダヤ人守衛が含まれている。彼らは、滑るように視界を出入りする。すさまじくゆっくり廻る、回転台によってだ。事実、ここで起こることはすべてのろのろとしている。歌からピラトの残酷な職務による苦役にいたるまで。サロメは踊りのかわりに服をぬぐ。誘惑よりむしろ、犠牲感を呼びさますふるまいで。

Clearly, Farber decided to reject period drama as a way of telling the story. The result feels utterly authentic but fatally ponderous. The language of the script — a mix of English, Aramaic and Arabic — demands to be intoned rather than performed.
明確に、ファーバーは物語を語る方法としての時代劇を、拒絶する決意をかためていた。その結果は、まったく信憑性があるが、致命的に重苦しかった。脚本の言語は──英語とアラム語とアラビア語のいり交じったもの──は、演じるというよりは詠唱されることをもとめている。

“It begins at the end,” says the woman narrator, apparently an older version of the story’s heroine. “For I am the first and the last,” she continues, and continues… and so does everyone else in roughly the same vein.
「それは、終わりから始まる」女性の語り手がいう。どうやら、この女性英雄が年を経たもののようだ。「我は始原にして終末なり」と彼女はつづけ、またつづけ……そして、他の者もみな、概ね同じ調子でつづく。

I have struggled with the star rating of this review more than with any other I can think of. Three is a recommendation and anyone who goes as a result could reasonably hold me responsible of exposing them to the longest 105 minutes of their lives. So I won’t do that. But there are elements here that shouldn’t be dismissed, not least the sight of Hebrews swathed in tallits during an ancient Yom Kippur; the sense of one religion being riven from another, and the bravery of stripping a play from the pacing and conventions of most shows.
わたしは、この星評価づけに、己で考えうるなににも増してもがいている。星三つは推薦であり、結果として観に行った人は、当然ながらその人生で最も長き105分を経験させたことに対して、わたしに責任を負わせるかもしれない。ゆえにわたしはそれをするまいと思う。
しかしここには、払いのけるべきではない要素がある。古代の贖いの日のさなか、タリート(儀式用の男性用肩掛け)に身を包むヘブライ人らの光景、他から引き裂かれた存在である、とある宗教の感覚、そして戯曲から大半の舞台劇の歩調と慣例をはぎ取る勇敢さ。

Yet calling it theatre doesn’t seem quite right. Perhaps it would work better as an installation. But whatever it is, it’s unforgettable.
とはいえ、これを芝居と呼ぶことは、あまり正しいこととは思われない。もしかしたら、装置としてならよりよく機能するかもしれない。しかし、いかなるものであろうとも、これは忘れがたいものである。


(2017/05/23~散発的に、2017/07/16、解放をめざしひたすら耐える病室から完了投稿)

Richard - 悪魔城ドラキュラ─Castlevania on Netflix!

  13, 2017 22:11
From_inquisitr_Castlevania-Alucard-vs-Trevor-Belmont.png 

(私事──この5月に16歳をむかえた飼い猫兄妹弟のうち、二匹の腎臓病がstage3に進んでしまい、その世話に全力投入している最中、なんと、自分が口腔癌(stage2)であったことが発覚して、治療中です。そのため更新がとまっておりましたが、Twitterでは相変わらず騒いでいます)

さてさて、2017/07/07、ついにNetflix全世界同時配信で、新作アニメ「Castlevania」S1全4話が一挙公開されました。
しかも、敵役Dracula伯爵の声優がグレアム・マクタヴィッシュさん、主人公Trevor Belmontの声優がリチャード・アーミティッジさんという、離れ山主従ふたたびな、夢の共演です!

S1はさっそく賞賛の声を多数うけ、IMDB上でもこの数字になっています。
実はS1の発表時点(2017/02)で、show runnerのAdi Shankarさんが、「S2も決まっている」と情報をバラしてしまっていたのですが、Netflix米国も、正式にS2(全8話、2018年早々との噂)を裏づけました。
20170707-netflixus-tweet-cap.png 

「えっ、Netflixの新作アニメ? しかもコナミのゲーム原作??」となっていらっしゃる方も多いと思います。
TLでも全員そうでした(笑)。ことの発端は、「Castlevania」の予告編が公開された、2017/05/24のことでした。



「これ、RAの声じゃない??」
ぽつぽつと出た声が皮切りで、議論がTwitterを主戦場に交わされました。ある人は「絶対RAの声よ!」といい、ある人は「絶対違う、"Dracula"の部分の発音が絶対RAじゃない!」と言いはり、結論が出ません。
わたしは比較的高見の見物で、「だったら嬉しいけれど、なんとも言えないわ……」組でした。

さらに議論を長びかせたのが、Netflixの謎の秘密主義でした。当初、予告編にはベテラン米国声優のFred Tatascioreさんの名前が、筆頭声優として掲載されていたのです。さらに関係者に質問した人が、「あれはFred Tatascioreで、Trevor役だよ」という返事を貰い、「なんだ、違うの……」とがっかりし、そして声優一覧に名前のあったJames CallisさんがRichardさんのRAMDA同窓生で、2017年3月にTwitterで相互になっていたため、
20170527-ra-tweet-cap.png 
お茶目Richardさんの意味不明な「Yes!」も、「あの声はRichardで正しいって意味でしょ!」と断定する人、「出るにしてもちょい役じゃないの」と疑念を持つ人と、さまざまでした。

そして、「ログインしないと前のままだけど、ログインすると、なぜかGraham McTavishとRichard Armitageの名前が出てくるよ!?」という発見からじょじょに更新がすすみ、やっと確定情報として開示されたのは、6月末になっていました。
そう、

主人公Trevor Belmont(※)…Richard Armitage
trevor_from_ep103.jpg 
Dracula伯爵…Graham McTavish
dracula_from_ep101.jpg 
聡明で科学に熱意をいだく人間の女性、LisaとDracula伯爵の息子Alcard…James Callis
Alucard_from_ep104.png 
やがてTrevorの妻となる「語り部」Sypha Belnades(※)…Alejandra Reynoso
sypha_from_ep104.jpg 

※このシリーズは、発売されるたびにキャラクターの外見や名前に変動があり、もっとも顕著なのがTrevor Belmontの名前です。彼は原版である日本版では、近年まで「ラルフ・C・ベルモンド」という名前でした。Syphaの名字も日本版では「ヴェルナンデス」になっており、日本版ゲームしか知らない方との間では、名前のずれで混乱することがあります。

こういう布陣だったのです。
定まってみてから予告編を聴いてみれば、最初に語っている声はGrahamさんですし、最後の「The man, who kills... Dracula.」も、普通にRichardさんです。
いまとなってはFred Tatascioreさんの名前はどこにも見えず、Netflixがなぜこんなことをしたのか、まったくの謎です。
(タタショアさんの了解をもって?、何か月も誤情報を掲載していたことになります)

さて、今作は、設定や登場人物の外見が錯綜する「悪魔城」シリーズのうち、原構成を「Castlevania III: Dracula's Curse」から、LisaとAlucardの設定を、Shankar監督が一番お気に入りだという「Castlevania: Symphony of the Night」から使用しています。
ただ、このシリーズには近年問題となったreboot版があります。(Castlevania: Lords Of Shadows 2)(※)
そこではなんと、Trevor=Alucardであり、Dracula伯爵はGabriel Belmontだった、という設定なのです。
またNetflixの日本語吹き替え版では、「Castlevania: Symphony of the Night」でAlucard役だった声優の置鮎龍太郎さんをTrevor役に持ってくるという、妙にひっかかる配役をしており、S2、もしかしたらそれ以降にむけて、まだ仕込みがありそうな感触があります。

※どうでもいい知識ですが、このシリーズでは声優として、Sir Patrick_Stewart翁が出演しています。
http://castlevania.wikia.com/wiki/Patrick_Stewart

ところで、突然発表された、このNetflix版が世に出るまでには、実は十年近い歳月がかかっていたそうです。

この記事によると、原作ゲームのデザイナーの一人、五十嵐孝司氏の協力の下、英国人アメコミ作家・原作家のWarren Ellis(ウォーレン・エリス)氏が、2007年3月に、直接DVD版で販売するもの(日本で一時はやったOVA形式ですね)として、構想していたそうです。

"We’ve worked with Koji Igarashi to get the film solidly inside the Castlevania timeline, and he’s approved everything I came up with, including some new embroidering to the timeline. To make it work as a film, I had to introduce new backstory, and I went through five drafts of the premise and three of the full outline to get the material where IGA wanted it. He remains absolutely passionate about Castlevania. After eight rewrites of pre-production material, I remain absolutely passionate about beating the crap out of IGA in a dark alleyway one day."
「われわれは五十嵐孝司と一緒に、Castlevania時系列のなかにこの映画をしっかり入れようと、働いていました。そして彼は、わたしが提案したすべてに許可をくれました。時系列に、少々新しい縫いこみをすることを含めてです。それを映画として機能させるため、わたしには登場人物たちの新しい生い立ちを導入する必要がありました。そしてIGA(※元コナミの五十嵐氏の自称)が望んでいた素材を得るために、既述事項の五つの草稿と、三つの完全な概要をくまなく調べました。彼はいまだに、Castlevaniaに対して無条件に情熱的です。事前素材の八回の書きなおしを経て、わたしはいつか、暗い小路でIGAからたわごとをたたき出すことに無条件な情熱をいだいています」

その後2008年8月に、DVDではなく演劇で発表することに他のスタジオが興味を示している、という情報を公開したあと、2017年2月に、Adi Shankar監督がNetflixでのアニメ版シリーズを発表するまで、「Castlevania」の展開に関する情報はとだえていたそうです。

長い年月の果てにNetflixの謎宣伝を経て一挙公開された本作は、音楽について原作ゲームのものが使用されなかった不満をのぞき、原作fandomにも大好評でむかえられました。
20170707-ra-tweet-cap.png 
「Castlevaniaの実写版を作ろうよ……ね? 理にかなってるって知ってるでしょ」

……と、actionも得意なRichardさんは、Netflix宛におねだりを敢行しましたが、残念ながら現場総監督のAdiさん発言として、こんな記事が出てしまいました。
Trevorの動きをみて、Richardさん自身の実写actionを連想しない人はいないと思うのですが!

Showrunner(現場総監督)をつとめるAdi Shankar氏いわく、彼は2014年に一度、実写版の「Castlevania」制作の申し出を受けたことがあるそうです。
"In 2014, Shankar confirmed, he was offered a chance to direct a live-action adaptation of Castlevania."
けれども、どんな映画、予算になるか理解しようと努力した結果、作りたい内容、ファンが見たいと思うだろう脚色と予算が見合わないと結論を出し、彼はその案を諦めたのでした。(※)

※ただしこの部分は、2017/07/14公開の別の記事で、「僕じゃなく別のチームが受けた話なんだよ」(I was offered a Castlevania show or a live-action Castlevania movie, but it was a different team, you know?)と、否定する発言をしています。どうも、このあたりの二転三転には、後日別の整理情報が出そうです。
実際このsiteは、2012年に、まったく違う布陣(Paul W.S. Anderson)での「Castlevania映画化に関する情報」を掲載しています。を掲載しています。

“I felt like the major studios were blatantly disrespecting fandom,” Shankar said. “We were the preexisting audience who would show up opening day regardless. I don't want to partake in the massacre of my own fucking childhood. If I do that I'd rather go back to the credit card company I was working at.”
「大手スタジオがね、ファンダムを露骨に軽蔑してるような気がしたんですよ」
「僕らは、無頓着に初日に現れる先住観客だったんです。僕は、自分自身のしょうもない子供時代の大虐殺に加わりたくないんですよ。そうするくらいなら、前に働いていたクジットカード会社に戻ったほうがましですね」

この記事での発言を要約すると、Adi氏は毎週毎週「続く」で終わるTV番組ではなく、ひと連なりの物語を描いて放送(提示)したいようです。

“Ultimately the way I look at Castlevania is as a story about a family and multiple generations of this family,” Shankar said. “There are aspects from all the games that I have plans to include, assuming the audience still keeps showing up. I would love to continue this series and I would love to keep making seasons, keep telling stories in this universe.”
「結局僕がCastlevaniaをどうとらえているかというと、ある家族と、その複数の世代についての物語としてなんです」
「全部のゲームからとれる様相があって、僕はそれを含めた計画をもっている。観客が引きつづき集まるなら、と仮定してですね。このシリーズを続けられたら最高だし、 シーズンを更新できたら最高です。この世界の物語を語りつづけられたら」

彼は本作配信直後、「Assassin's Creed」(※)のアニメシリーズを担当すると発表されましたが、正確に言うと「Ubisoftが彼に、Assassin's Creedアニメの開拓を依頼してきた」という段階のようです。
この記事末尾では、Adi氏は「Castevaniaシリーズをいますぐ中断する気はない、ずっとつづけたい」と主張しています。

このPolygon記事にもある通り、Castlevaniaの原作ゲームは豊富な素材をもつ年代記形式になっています。S2も成功すれば、S3もあり得るでしょうし、題材には困らないでしょう。

実際、この記事ではすでにわたしと似たようなS2予測のほか、すでにS3の暴走予測をしています(笑)
まずは、来年早々配信ではないかと言われている、S2本編に期待したいところです。

※「Castlevania」同様ゲーム原作で、本作とは逆に、Michael Fassbender氏主演で2016年に先に実写映画が作成され、予算125万ドルに対し総収入240万ドルと、いわゆるややコケしてしまった作品ですね。


"Trevor is much more than the gruff, hyper-masculine beefcake who whipped Dracula in the original game art. (Shankar says the show’s Trevor wears a shirt instead of a Conan-like outfit because “You’ve got Alucard without a shirt, and it’s like, where do we draw the line? Does every dude just have a six-pack and no shirt? Is this now a Channing Tatum movie?”) No, the Trevor of the show is weary, a little rusty, and not necessarily eager to answer the hero’s call to action. He’s also surprisingly funny, with a dry wit that helps keep things light amidst the gore. Shankar credits writer Warren Ellis’s trademark gallows humor and Richard Armitage’s decidedly not-mopey voice acting with helping make the difficult character likable."
トレヴァーは、ぶっきらぼうな、原作ゲーム絵でドラキュラを鞭打った、超男性的筋肉男を超える代物だ。
(シャンカルいわく、TV版のトレヴァーがコナン的服装のかわりにシャツを着ているのは、
「アルカードがすでにシャツなしなわけで、なら僕らはどこに線を引けばいの? どんな野郎も腹割れ筋肉だけでシャツなしなわけ? これってチャニング・テイタム映画ってこと? みたいなものだった」だそうだ)
今回は違う。本作のトレヴァーは疲れて、少々錆びつき、そしてかならずしも英雄の行動喚起に応じたがっているというわけではない。彼はまた、驚くほど面白く、血糊のさなかに物事を明るくしてくれる助けをしてくれる、乾いた機知をそなえている。
シャンカルは脚本家ウォーレン・エリスの商標である「絞首台諧謔」と、リチャード・アーミティッジの断固としてふさぎ込んではいない、難しい役を好いたらしくするのを助ける声の演技を信頼している。

(2017/07/12-2017/07/13、放射線治療の病室から、治療の痛みをまぎらわせつつ更新)

Lee Pace- 小説"A Little Life"について

  08, 2017 23:36
Audible-Romeo-and-Juliet
(The beautiful pic was from here.
“he would try - as Brother Luke had once asked him - to show a little life, a little enthusiasm.”
彼はやってみようとした──修道士ルークがかつて彼に命じたように──わずかな生気を、わずかな熱意を示そうと。

「A Little Life」。
この題名に見覚えのある方は、現在いらっしゃるでしょうか。すでに一年以上前の感謝祭selfieとして、リー・ペイス氏が二冊紹介したうちの、一冊です。
多忙すぎて仕上げる機会を逸しているうちに、この本が意味する内容が、当時と百八十度変わってしまいました。
いったんは記事をお蔵入りにしようとも思いましたが、単なる本の紹介としても多少は役に立ちそうなので、掲載することにしました。

この作品の作者は、Hanya YANAGIHARA氏。明らかに日系の苗字「柳原」を持ち、四代目のハワイ系米国人で、LAで生まれ、hematologist(血液学者)でoncologist(腫瘍学者)であったその父君の移動に伴い、Hawaii、Baltimore、Texas、NYですごし、最終的にManhattanで二十年間暮らしているという、四十歳の女性作家です。
本作は二作目にして、2015年Man Booker賞の最終候補となった話題作、英文721頁に渡る本でした。
http://www.newsweek.com/2015/04/17/hanya-yanagihara-315023.html

Lee Pace氏がこの本を紹介したのは、かれが「The Book of Henry」撮影直後(正式な終了の数日前)にBerlinへ飛び、実家での感謝祭と、12月頭に控えたCA州での「Keeping Hours」撮影のために、わずか一週間たらずで米国に戻った帰国直後の、Twitter投稿でした。
最初は「Between The World And Me」(Ta-Nehisi Coates著、アフリカ系米国人の商業執筆家が息子に語りかける形で、黒人差別の現実を綴った作品、2015年National Book Awards受賞、こちらのsiteさんが詳しく日本語で紹介してくださっています)は、「米文学好きを称する人物らしい選択だな……」と思いました。けれども、次に「A Little Life」の内容要約を知ったとたん、わたしは一瞬目を疑いました。

端的にいうと、この本は凄まじい──「ディケンズ的幻想譚のような」とも書評された性虐待の過去を持つJude St Francis(数学者であり弁護士となる)と、その大学時代からの親友にして最終的に恋人となった、スウェーデン系米国人俳優Willem agnarssonの、男性二人の真剣な愛情と性愛を主題にした、悲劇的結末の恋愛小説だったからです。
「悲劇的ポルノ小説」と評する人もいますが、まさにそのとおりでした。具体的な単語は使わず、ある意味上品な表現を使ってはいますが、大量の頁がJudeとWillemの、そしてJudeの過去の嗜虐者との性場面について割かれています。
そしてその合間に挟まる、読んでいるこちらまで貧血を起こしそうになるような、Judeの生々しい自傷行為。

「A Little Life」。それは、「慎ましい人生」や「ちいさな生命」というような意味ではありません。
中盤になるとこの言葉と表紙の写真が、作者が頑として譲らず選択したという表紙写真の意味が解り、読者はやり場のない思いで嘆息することになります。

この本は、最初は野心と夢を胸にNYCへ大学進学してきたJude、Willem、JB、Malcomの四人の共同生活からの青春譚のようにはじまります。けれども100頁も読まないうちに、読者は実質主人公がJudeだと気がつきます。過去が「ない」、語らない、女性とも男性とも付きあっている節のない、そして脚がすこし不自由な彼は、「車の事故でこうなった」と仲間たちに語っていますが、実は──

以下、完全に本文の内容を引用しながら結末まで語りますので、折りたたみます。一切のネタバレを気にしない方のみ、お読みください。

リー・ペイスLeePaceALittleLifeHanyaYanagihara

Richard - Love Love Loveのあらすじと解説

  22, 2016 23:26

tn-500_[7397]_richardarmitage,amyryaninlove,love,love,photobyjennyanderson,2016
http://www.broadwayworld.com/article/Photo-Flash-In-Rehearsal-with-Roundabouts-LOVE-LOVE-LOVE-20160916 より

いよいよ米国東部2016/09/22(木)より、リチャード・アーミティッジさんとエミー・ライアンさん(Amy Ryan、最近作はBridge of SpiesやBirdman、TonnyにもEmmyにも候補となったことがある名女優さんです)の舞台「Love Love Love」試演(preview performance)期間が始まります!
http://www.roundabouttheatre.org/Shows-Events/Love-Love-Love.aspx

本公演のpress nightは2016/10/19、最終公演は同12/18を予定しています。
わたしも今回は無理やりな日程で弾丸鑑賞を予定していますが、その前に成功を願って、日本語での解説を掲載したいと思います。

少々の台詞訳も含めていますので、ネタバレ厳禁派の方は、折り畳み部分をご覧になりませんよう、ご注意ください。

きらきらした青い瞳がめちゃくちゃ可愛い事前動画はこちらです。


●承前 - Roundabout Theatre Companyというやや特殊な劇場団体について

わたしを含め、席の予約を開始した各国RA軍は全員面食らったはずですが、この劇場団体は、なんと「非営利」なのです。
つまり、会員となっている地元の人々が対象で、外部のお客は「気がむいたらどうぞ」という仕組み。
そのせいで、販売開始からその上演日の前々日程度まで、一階の中央は「会員優先席」として凍結され、外部のお客は買うことができません。
直前になって劇場側が「開放してよし」と判断すると、凍結していた良席の、残った部分が販売対象になります。そのため、(現在がまさにそうなのですが)「先に買っていた遠征組は一階最後尾の隅っこにかたまり、中央の良い席が歯抜け」という事態が発生します……!

そして、劇場側に15 USDを払うと、良席へ移動することができます。
それでも110 USDぐらいですから暴利ではないとはいえ、「高くてよいから最初から買わせてよー!」と言いたいのが、遠征客の正直な感想です。

そんな特殊な形式のせいか、Roundabout Theatreは今回、Richardさんの顔写真どころか、Amyさんの名前すら一切合切宣伝に載せない、という信じがたい広報を行っています。
そのせいで、The Old Vic1000席弱を連日満員にした実績のあるRichardさんなれど、初のNYCの舞台で、ここまでの席の平均稼働率はざっくり70%~と微妙な状態です。

しかしRoundabout Theatre側は、「どうせpress nightが終わって劇評が出たらもっと稼働するでしょ」的なのほほん状態。妙な話、席の稼働率が10%だろうが損が出ない、そういう「非営利団体」ですので、どうにもこうにも歯がゆい状態ですが、まずは開幕を待ちたいと思います!

●今回はThe Laura Pels Theatreにて上演

Roundabout Theatreは複数の劇場を運営していて、Richardさんの舞台がかかるのは、425席とやや小さめの、正式名称Laura Pels Theatre at the Harold and Miriam Steinberg Center for Theatreです。
500席に満たないと、自動的に「Off broadway」扱いとなります。
中の写真を見ると、どこからでも見やすそうな劇場です。

The-Laura-Pels-Theatre.png
Google mapより、The Laura Pels Theatre入口

劇場は、この入口から見て地下にあたります。聞くところによると、複合ビルのため「楽屋口」がなく、俳優もお客も全員、ここから入ることになるそうです。
したがって、今回は「楽屋口での対応」はまったくないとみています。

※ちなみに、RichardさんはNYCの場合、この劇場から──で──ぐらいのところに住んでいますので、「The Crucible」のときのように近場に部屋を借りることはないと思われます。

●戯曲「Love Love Love」とあらすじ

戯曲家:Mike Bartlettさん
(まだ35歳ですが、2015年に「King Charles III」でOlivier Awardsの最優秀戯曲賞を受賞した、気鋭です)
Mike-Bartlett-and-Richard-Armitage-Wild-at-Hampstead-Theatre-Photo-by-Alice-Boagey.jpg
https://www.thestage.co.uk/features/promoted/2016/scene-around-june-30/ より、Alice-Boageyさん撮影、"Wild" press night, Hampstead Theatre、2016/06/30

今回の舞台監督:Michael Mayerさん
(2007年の「Spring Awakening」でTony Awardsの最優秀ミュージカル賞受賞経験のある、手練れの舞台監督です。なんと2003年にリー・ペイスさんが出演した舞台の舞台監督も務めたことがあります。同性愛者であることを開示しています。Manhattan在住)

この「Love Love Love」、2011年倫敦が初演なのですが、端的に言うと「第二次大戦後のbaby boomersの親とその子世代の断絶を描いたblack comedy」になります。
2011年版の脚本も販売されており、わたしはkindle版を読みました。
https://www.amazon.co.uk/Love-Modern-Classics/dp/1472574737
(Kindle版なら10 GBPですよ!)

舞台は1967年の、倫敦北部にある、とあるフラットから始まります。
この舞台の見どころのひとつは、家族四人全員の俳優が、十代から六十代(両親)、十代から三十代(子供たち)と、大きな年齢幅を演じる点です。
政治的な部分や、初演脚本で「ん?」という終わり方だった第三幕終盤を料理しなおしたのか否か、それは観てのお楽しみということで、ここでは踏みこんだ解説は一切省きます。おそらく、2016年英国EU離脱などの最新話題を受け、補正した気がするためです。

最初、castingでは「英国英語必須」と募集していたのですが、決定した配役を見ると、演技力優先で英国英語はあきらめた模様。Richardさんも米国戯曲の「The Crucible」を、北部訛りの英国英語で演じたので、そこは上演地により調整という方向を選んだと思われます。

三幕全部を通して、出演者はわずか五名。
そのうち、Richard Armitageさん演じるKennethの兄Henryは第一幕で退場、残り二幕は、Kenneth、その妻となるSandra、長女Rosie、長男Jamieのわずか四名です。

2016年版の配役は下記です。Henryだけはちょっと意外な選択でしたが、あとは見るからに「そのままぴったり」な配役です。

Richard Armitage: Kenneth
Amy Ryan: Sandra
Zoe Kazan: Rose
Ben Rosenfield: Jamie
Alex Hurt: Henry

ではここから、念のため折りたたみます。
衣装や背景装置の描写は、すべて2011年版舞台によるものです。

リチャード・アーミティッジRichardArmitageLoveLoveLove

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